2024年度実施 沖縄県公立学校管理職候補者選考試験 合格体験記 小学校教頭

 「教頭試験受けてみない?」
 令和5年5月、前任校の校長の言葉から私の教頭試験の旅が始まった。しかし、いざ勉強しようにも何をどうすればいいかわからない。とりあえずネットで勉強方法や内容を調べてみることにした。小論文には自信があった。そもそも書くことが好きでもあった。
 7月、状況は何一つ変わっていなかった。相変わらず、勉強方法は見えず、小論文の練習は後回しになっていた。そんな状況でも、なぜか「どうにかなるだろう」という思いがあった。
 しかし、当然ながらどうにかなるわけはなく、試験当日に私の根拠のない自信は砕け散った。自宅に不合格通知が届いたのは、それから数週間後のことであった。
 不合格通知から数日後、私は沖縄教員塾にメールを送った。わらにもすがる思いだった。その後、入塾に関する面接を行ったのが上高先生との出会いである。面接では、教育に関することや、読書に関することなどで盛り上がり、いつしか上高先生の虜になっていた。
 令和5年9月。上高先生から初めての教材が届いた。教材を目の前にして、5月から7月までの時間を悔やんだ。同時に、教材を、そして上高先生を信じて続けていけばいいという安心感が生まれた。勉強を続けていく中で、この「安心感」は私にとって非常に重要なことであった。安心感が集中力に繋がり、安心感が思い通りに勉強が進まないときの心のよりどころになり、安心感が仕事へのストレスを軽減させてくれたのである。
 さらに、安心して教材と向き合うことで、時間のゆとりが生まれた。この時間を利用し、教材や模範論文、上高先生が教材と一緒に送ってくださる新聞やニュースを録音し、車での移動中や週末のランニング中に聴くようにした。隙間時間を活用することで、机に向かう勉強の質が向上していったように思う。
 このような勉強だが、最初は毎月送っていただく教材に、自分の勉強が間に合わず、教材をため込んでしまうこともあった。そこで一日の時間の使い方を見直してみた。仕事、子育てなど、どれも省くことができない重要なことであった。唯一、見つけた時間は「朝」である。幸い、朝は早めに起きてゆっくりとした時間を過ごすことが日課であったため、その時間を15分だけ勉強にあてるようにした。たった15分であったが、次第にため込んでいた教材が減っていった。
 令和6年4月からは、2回目の受験に向けて小論文の対策にも取りかかった。上高先生の添削は目から鱗で、書けば書くほど(添削してもらえばもらうほど)自分の書きたかったことが文章化されていった。自分の思いが文章化されていくのは、味わったことのない気持ちのよさがあった。
 令和6年7月。2回目の一次試験。昨年砕け散った自信のかけらを修復することができた。
 2次試験の練習が始まった。ここで生きたのが小論文の練習である。借り物の言葉ではなく、できる限り自分の言葉で小論文の練習をしてきたことが、面接での受け答えに生かされたように思う。上高先生との面接練習は、練習というより教育に関することを意見交換しているようで、自分の教育観がどんどんアップデートされていく楽しさがあった。さすがに、模擬面接は緊張したが、不思議と本番は緊張せずにのぞむことができた。
 令和6年10月。昨年の不合格通知が、合格通知に変わって届けられた。間違いなく上高先生を信じた結果である。上高先生を信じ、安心感をいただき、自己を見つめることができたからこそ手にすることができたものである。同時に、支えてくれた家族や同僚にも感謝しかない。
 多くの方々に運んできていただいた合格通知。今、教室の片隅でその責任の重さを感じながらこの体験記を書いている。