平成27年度実施 沖縄県公立学校教員候補者選考試験 合格体験記 中学校国語
(1)一次試験について
一般教養
一般教養は出題範囲が広いので、ポイントを絞って学習することを心がけました。特に出題が多い分野や、専門でも役に立つ沖縄関連の問題を中心に学習し、専門や教職教養の学習の隙間で気分転換に理系の分野も勉強しました。一般教養の学習で気を付けたことは、のめりこみすぎないことです。専ら文系としてやってきた私が、難解な理系の問いを完全に理解するのは時間がかかってしまうので、知識として知っていればわかることを頭にインプットするように意識し、厳しい問題はとばしつつ、割り切って進めていきました。使用した教材は、メセナの月例テストと以下3冊です。
・新城俊昭『これだけは知っておきたい琉球・沖縄のこと』沖縄時事出版
・新城俊昭『教養講座 琉球・沖縄史』編集工房東洋企画
・波照間永吉『新編 沖縄の文学』沖縄時事出版
教職教養
メセナの月例テストを何度も何度も解きました。4年間メセナに通わせてもらいましたが、1年目はやみくもに学習していたように感じます。これでは伸びないと感じた2年目から、間違った問題は解説をじっくり読み、覚えるようにしました。何度やっても覚えられず、間違ってしまう問題は単語帳に書き、隙間時間に取り組める様にかばんに入れて持ち歩いていました。また、トイレやキッチン、部屋の壁に3度間違った問題を手書きで書いてはり、覚えたらはがすというルールを自分で作り、実行していきました。
専門教科
専門教科は、配点の大きい4題(評論・小説・古文・漢文)を中心に勉強しました。評論25分、小説・古文20分、漢文15分を念頭に置き、時間内にどれだけ集中することができるか、何点とることができるかを繰り返し訓練しました。毎年時間が足りず、悔し涙を流してきたので、特に最後の1年は時間を最重要視して取り組みました。元々文章を読むのが好きなので、解いている最中に試験ということをどこか忘れ、文章をじっくり読んでしまう癖が私にはありました。そこを改善するため、最初は毎回タイマーを使い、時間になったら途中であっても切り上げる練習から始めました。
俳句や短歌、和歌等については、便覧を使って基本事項を学習したり、毎日百人一首を聞いたりしながら、日々の生活の中に組み込むように心がけました。
学習指導要領は、3月までにはほぼ完璧に覚え、4月からは週2回程度忘れないように確認をするようにしました。
その他、国語常識等はメセナの教材や国語便覧を使って学習しました。4題(評論・小説・古文・漢文)を解くには時間が半端なときや、どうしても集中力に欠けるときは、ひたすら国語常識を確認していくか、漢字の練習をしました。
(2)二次試験について
1日目 適性検査・論文
➀適性検査(YG検査)
音声に従って、直感で答えるだけです。対策等は何もありません。リラックスして答えると論文試験に向け、良い状態が作れると思います。
②論文
今回の試験から傾向が変わっていました。実際に論文を書く用紙の他に、A4の別紙資料が配布され、一瞬驚いてしまいました。そこには本県の教育に関する文章が記載されていました。論文の題は「別紙資料を参考にしながら引用できるところは引用し、本県の教師としてあなたがやってみたいことを述べなさい。」という様な感じだったと思います。私は、まず引用する部分を3か所決め、それからその文書を引用するためには何について書くべきか、柱を2つ決め書き出しました。60分で1200字の論文を完成させる練習をしてきていたので、50分弱では書き終えてしまい、見直しも含め60分経過時には完成していました。もっとゆっくり丁寧に書けばよかったとも思いましたが、大幅に書き直すのも怖いので、残りの時間は見直しをしながら字をより丁寧に書き直す時間に使いました。75分で1200字は全体的にも時間に余裕があり、教室内の鉛筆の音も止んでいたので全員が書き上げることができたのだと思いました。
今回はだいぶざっくりとした題でしたが、問いによっては構成に時間がかかるものもあると思い、AがでたらBを書く、という風にある程度柱を決めて試験に臨みました。私が準備したのは、主に以下の項目についてです。
【学力向上・インクルーシブ・連携(小中、中高、異校種間)・ネットいじめ・不登校・歴史や文化(戦後70年)】
特に、学力向上は県の施策と絡めながらどんな切り口で聞かれても答えられるように、多くの柱を持つようにしました。二次試験までの限られた時間の中で論文対策にかけられる時間はそう多くはないと思うので、一次試験を通過した後、余裕をもって二次に臨むために早めの対策が必要かと思います。
2日目 面接
出席確認後諸注意があり、受験番号順に呼ばれ、各自面接が始まりました。私は受験番号が真ん中ぐらいだったので丁度良かったですが、最初の人達は、緊張がピークの中、すぐ試験なので大変そうだと感じました。試験後、受験番号が最後付近の人に聞いた話ですが、待ち時間が長く気がもたないとのことでした。勝負の年は、出願時にそういったこともある程度考慮すると良いと思います。
今回の面接は、おそらく3つ程度の教室で実施されていました。私が面接をしてもらった教室は、試験官3名とも男性でした。入室後、事前に説明があったように準備されている机に荷物を置き、面接官の前に用意された椅子に向かいました。必要事項を伝え、着席すると「緊張はすると思いますが、どうぞリラックスして答えて下さいね。」と素敵な笑顔で中央の試験官がおっしゃって下さったので、肩の力を抜いて臨むことができました。最初に志望動機や自己アピール、面接調書の中から質問がありました。その後、ストレスに関する耐性をはかるような質問がありました。その後生徒指導に関する質問が続き、県の施策についての質問と場面指導(いじめの傍観者への学級指導)がありました。きっとこのあたりまでは大体皆同じ流れで、最後は人によって少し違うのかなと感じました。私の場合、大学卒業から初めての臨任まで時間がだいぶ空いていたのでその点に関する質問がありました。
面接で気を付けたことは、覚えてきたことを思い出しながら伝えるのではなく、試験官と対話するように自分の思いを感情込めて言葉で伝えることです。「どうしても教員になりたい。絶対に私をとってください。」という強い思いを発した全ての言葉に乗せたつもりです。
3日目 模擬授業
中学国語の模擬授業の出題範囲が『「第一学年」[伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項]の指導事項を踏まえた授業を行うこと。』とあったので、まずは、指導事項の確認から始めました。前年度は二学年の平家物語だったので、県内で使われている一学年の教科書からメジャーな教材をしぼり、同じ国語科の一次合格者で分担をして教材研究を始めました。限られた時間の中だったので皆で共有できることは共有し、お互いに授業を見せ合って助言しあいつつ、進めていきました。正直最初は勝負する相手と情報共有をするってどうなのだろうという思いもありましたが、授業は授業者によって異なったものになるので、自分らしさが出せればいいと思うようになりました。私は臨任をしながらの受験だったの模擬授業に関しては、ある程度の自信がありました。目星をつけていた『竹取物語』『矛盾』『いろは歌』の3教材の流れは頭に入れ、もしそれ以外の教材が指定されたらその時できる範囲でやるしかないと割り切って臨みました。
(3)おわりに
私は大学卒業後、結婚と2度の出産を経て採用試験に挑戦してきました。子どもが小さい頃は、支援員として働かせてもらい小学校や中学校、特別支援学校等合わせて5校で勤務させてもらいました。特に採用試験に通る前の4月からは免許のない小学校で初めての勤務ということもあって全教科1から教材研究をし、試験勉強と家事育児で消耗しきっていました。その中でも、「絶対今年受かる」と決め込んで学習に取り組んでいました。沢山の人に助けてもらいながら、協力を得ながら、勉強時間を確保することに毎日必死でした。これ以上迷惑をかけられないという思いと、お世話になった人へ早く良い報告がしたいという思いでなんとか掴んだ合格だったと思います。
でも、私以上に努力や苦労を重ねているけど、採用試験に通ることができず、苦しんでいる方もたくさん周りにいらっしゃいます。いろんな意味での相性や運もあると思うので勿論偉そうなことは言えませんが、ただ私が一つ思うことは、「あの時諦めずになんとか踏ん張ってよかった。」ということです。あの時というのは私にも何度かあります。この体験記を読んでくださっている皆様もきっとあると思います。苦しい時期もありますが、その体験こそが教師としての糧になるものだと私は信じています。
最後に、四年間国語をみっちり教えて下さった上高先生、二次試験対策でお世話になったメセナの先生方、事務の方々、心から感謝しています。ありがとうございました。これからの沖縄を担う子ども達のために、己のために、日々精進します。
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