2019年度実施 沖縄県公立学校教員候補者選考試験 合格体験記 中学校国語

1. はじめに

 私は、平成19年度実施試験より受験し続け、平成31年度実施試験において合格することができました。もともと中学志望で受験しましたが、高校の臨任として働き始めたことで受験校種を「高校国語」で長年受験してきました。2度一次試験を通過し、最終試験に臨むことができましたが、結果は不合格でした。長年続けてきた教員採用試験を支えてくれた家族に申し訳ないという気持ちと、どこかで区切りをつけなければならないという思いから、中学への校種変更を決断しました。

《これまでの受験経過》
年度 勤務校 校種 1次結果・順位
(教養・専門)
2次結果・順位
(論文・模擬・面接)
通塾有無 私事
H19 大学生 中学校 不・詳細不明 なし なし  
H20 県非常勤 高校 不・詳細不明 なし なし  
H21 特別支援学校 高校 不・詳細不明 なし なし  
H22 県立高校 高校 不・98位(46・119) なし なし  
H23 高校 不・56位(59・106) なし なし  
H24 高校 不・46位(48・106) なし なし  
H25 高校 不・69位(44・104) なし 教職員組合講座 結婚
H26 高校 不・15位(57・139) なし メセナ予備校  
H27 高校 不・16位(56.5・113) なし    
H28 高校 合・7位(65.5・131) 不・7位(43・69・85) 育英 第1子誕生
H29 高校 不・42位(53・106) なし    
H30 無職→県立高校 高校 合・3位(72.5・145) 不・12位(68・100・97.1) 沖縄教員塾3期  
H31 県立高校 中学校 合・2位(67.5・135) 合・2位(59・98.6・117.1) 沖縄教員塾4期 第2子誕生

 平成25年以前は試験勉強に本腰を入れておらず、受かりたいとは思っていても、行動を伴わないものでした。そして結婚を機に、これまでの自己を振り返り、受からない要因は何なのか考えてみました。
 ・時間配分が…という言い訳
 ・勉強時間が…という言い訳
 ・まだ若いし、いずれは…という言い訳
 あまりに幼稚な要因ですが、これらと真正面から向き合わなければ一次試験の合格はあり得なかったと思います。毎年行われる試験を年中行事のようにこなし、「また今年もダメだったかー、来年またがんばろー」と軽々と口にしていた自分を恥じ、受かるための具体的な行動に移すことが必要でした。

〈具体的な行動〉

① 勉強時間の固定
 ・子供が生まれる前 21:00~24:00
 ・子供が生まれた後 4:00~7:00(子供と21時ごろ就寝)
② 本・新聞を読む
 ・新聞購読および学校図書館と47NEWSというウェブサイトで地方紙のコラムや社説を読む。
③ 辞書を引きまくる 
④ 学んだことは生徒に話す
 ・アウトプットとして小さなことでも生徒に伝える。
 これらを習慣づけることでどうにか成績が上がり、合格までの道のりが見えたような気がします。以下、各試験内容について取り組んだことについて述べたいと思います。少しでも皆さんのお力になれれば幸いです。

2. 一次試験

① 一般・教職教養
【一般教養】

 ほぼノータッチで、沖縄関係の問題に関しては新聞で新しく登録される文化財等はないかチェックするほか、沖縄コンベンションビューローが出版していた『うちなー観光教本』を使用していました。

【教職教養】

 入塾前は東京教友会『教職教養ランナー』を使い、入塾後は塾の教材と合わせて勉強していました。最初は丸暗記しようとノートに書いたり、マーカーで線を引いたりしていましたがすぐに限界が来ました。そのため、実際の教職現場の経験とつながりを持たせるように心がけ、ただの試験用の知識ではなく、使えるものとして覚えようとすることで得点を安定させることができました。
 実際の試験では一部免除制度の対象であったので受験しませんでしたが、2次試験対策として重要だったので取り組んで正解でした。

② 専門
【全体としての取り組み】

 専門試験は時間内に解き終わることが一番の課題でした。解き終わらない原因は1問にこだわって解いてしまうことです。特に現代文にそれが顕著に見られたので問題を解く順番を工夫しました。
〈改善前〉順番通り
〈改善後〉指導要領→国語知識→沖縄→韻文→古文→漢文→評論文→小説
 自分の性格と傾向と向き合った結果、これが最善だと考えました。悩んで時間のかかる評論文と小説を最後に持ってくることで悩む暇のない状況を作り出し、ほかの分野の得点率を上げるように心がけました。また、全体的に読むスピードが遅く、読み慣れていないことが課題だと感じていたため、現古漢のいくつかの問題集を読み物として活用していました。問題集だとさまざまなジャンルに触れることができ、実際の試験と同じような文字数を読むことができるのでよかったと思います。自主学習のメインは塾の教材や各テストの復習です。

【学習指導要領】

 試験二週間前あたりから声に出して読み上げるようにしました。

【評論・小説】

 評論文・小説は、復習時の精読を心がけて取り組みました。特に評論文は、文章の構成を気にせず、闇雲に読んで時間を無駄にすることが多かったので、テーマに関する抽象的な箇所と具体的な箇所を文の構成とともに読み分ける癖をつけ、試験時にできるだけ早く読み、理解できるようにしました。小説はこれまでの復習などから満点を取ることは困難だと、はじめから割り切り、悩まずはっきりと解答が導き出せる設問のみ時間をかけ、余計な時間ロスをなくすようにしました。自主学習では本番でその判断ができるように何回も訓練しました。

【古文漢文】

 古文漢文は読み慣れることが一番であると考え、なるべく多くの作品に触れられるように問題集をいくつも解きました。その都度わからない単語等は辞書で調べ、ノートに書いて復習しました。文法や文学史の知識などはこれまでの勤務校が進学校だったこともあり、授業で繰り返し教えることで身につくことができました。授業で話すことが難しい場合は、妻などに話して聞いてもらいました。書くだけでは覚えられないと判断したものは誰かに話すことで克服できたと思います。

【国語知識・沖縄の文学】

 この分野は、できるだけ点数を落とさないことが他の受験生と差をつけるところだと位置づけて勉強してきました。塾の教材を使用し、ノートにたくさん書きました。漢字に関しては何度も間違えてしまうものは、漢和辞典でその漢字の成り立ちや同じ偏、つくりを持つ漢字を調べて漢字のもつ意味を理解した上で暗記するようにしました。沖縄の文学に関しては、塾の教材やテストの復習、『新編 沖縄の文学(増補・改訂版)』の各ジャンルの概要箇所を写本し、声に出して読み上げて暗記しました。

使用した書籍等

《買えるもの・借りたもの》
・横屋芳明『読み解き古文単語〔改訂版〕』Z会 
・笹岡信裕『早稲田の国語〔第6版〕』赤本 
・教学社編集部『センター試験過去問研究』教学社
・永田和宏『近代秀歌』岩波新書
・高教組教育資料センター『新編 沖縄の文学(増補・改訂版)』
・河合塾講師『「有名」私大古文演習』河合出版
《学校の教材》
国語便覧、現古漢の難易度高めの問題集、漢文および古文の文法書

3.二次試験

 二次試験は一次試験よりも辛く、苦しいものです。自分自身と向き合い、教員になる覚悟があるのか試されます。途中で逃げ出したくなるかもしれません。私は初めて受験した際は自信をなくし、自分ではなく一緒に対策した人たちが受かればよいと思ってしまいました。本当に後悔しています。これを読んだ受験生の皆さんが同じ轍を踏まないようにと願うばかりです。他人を応援する余裕はないです。自分をおいて他人を応援してしまったら負けてしまいます。一番応援し、奮い立たせるのは他の誰でもない自分です。沖縄教員塾でともに二次対策した先生方はそんなふうに自己を奮い立たせ、互いに刺激し合う関係だったと思います。

① 小論文 

 対策は沖縄教員塾の教材と上高先生のご指導がすべてです。はじめは全然書けませんでした。一つ書き上げるのに8時間以上かかり、不安ばかりが募ります。しかし、上高先生がおっしゃるように、毎日書かなければ本番で書き上げることは難しかったと思います。その日で書き上げられなくても、書くための材料をまとめておくことが大事です。
 私は字が汚いので、大きく濃く丁寧に書くように心がけましたが、本番の時間がない中では焦ってどうしても汚くなってしまいました。鉛筆は4Bまで試しましたが、筆圧が強い方だったので2Bを10本くらい用意し、こまめに取り替えて試験に臨みました。

② 面接

 一番の不安要素が面接でした。過去2回の面接で得点が伸びなかったのも沖縄県の教員を目指した理由が明確ではないことが原因だったと思います。今回も高校から中学へ校種変更したこともあり、直前までなかなかまとまらず焦っていました。大学時代のレポートを引っ張り出したり、妻や同僚、先輩に相談したりしてようやくまとめることができました。そして、家で何度も繰り返し練習し、大きな声で自信をもって伝えられるようにしました。個人に関する質問以外はこれまでの経験や県の施策等で読み込んだものから答えられるものが多くありましたが、どの質問にも「教師としての姿勢」が問われていると感じました。特に場面指導においては、その場面だけの指導ではなく「生徒たちをどのような人間に育てていくのか」ということを念頭に置いて指導するように心がけました。

③ 模擬授業

 模擬授業は机に向かって授業案をつくることも大切ですが、なにより黒板の前で何度も練習することが一番です。普段の授業とは違い、誰もいない状態で授業を8分間することはかなり抵抗があります。その感情を払拭し、対策に集中するためにも、まずは恥を捨てて練習してみることです。私は第一声の挨拶にこだわりました。「大きな声で明るく元気よく」を心がけ、その挨拶ができれば大丈夫だと自分に言い聞かせました。授業の流れや内容に関しては同じ校種の先生方と相談し、何度も修正しながら自分の授業にしていきました。その他には、これまでの勤務校の先生方に見てもらえるように動きました。過去の受験時と大きく違う部分は入塾以外ではこの点にあると思います。恥ずかしさや変なプライドは捨てて、頼れるものはなんでも頼ろうとする姿勢で臨んだことが、今回の合格につながったと思います。ちなみにこれは妻からかなりきつく言われたことで、一番に改善したことです。

4.おわりに

 教員採用試験を受け続けて13回目、二次試験を受験するのは今回で3回目でした。対策を重ねていくうちに自分は本当に教員に向いているのだろうかと悩みました。他の受験生と比べ、自信をなくし、本番で力を発揮できない。そもそも力なんてあったのだろうかと、不合格の通知を受けてふさぎ込んでしまう。そのような状況でも家族、先輩方、生徒たちは変わらず応援してくれました。特に家族には大きな負担をかけてきました。他の家族のように夏休みを満喫することもできず、年度末には次年度の臨任があるのかという不安がつきまとう。私と同じように臨任経験が長い受験者は少なくないと思います。長年こだわってきた高校への未練を断ち切り、中学校への校種変更に後悔がないわけではありません。しかし、それよりも大切なことは次のステージへ進むこと。臨任のように限られた短い期間ではなく、同じ勤務校で継続して教えたい。そして、これまで支えてくれた方々への恩返しをしたい。妻と毎年のように喧嘩したくない。そんな思いから校種変更を決断しました。未来のことはわかりませんが、この決断は間違っていなかったと思えるように努力を続けたいと思います。
 最後に、上高先生、本当にありがとうございます。先生との出会いがなければ、ここまで来られなかったと思います。授業の中で話してくださることや、教材の中の文章など、時には厳しいこともありますが、とても勇気づけられました。沖縄に住むものとして、国語の教員として、先生から教わったことを一つでも多く自分のものにできるよう努めたいと思います。