2019年度実施 沖縄県公立学校教員候補者選考試験 合格体験記 高等学校国語
〇はじめに
私は大学を卒業してから、9年目にして高校国語を合格することができました。本当にありがたいことに、8年の間、臨時任用が途切れることがなく、現場で働き続けることができました。思い返せば、さまざまな先輩方と出会い、たくさんの子どもたちから学び、教育現場で働けることへの喜びを経験させていただくことによって、教育という仕事に対する憧れが年々強くなっていたように感じます。しかし一方で、臨時任用という身分に甘んじ、だらだらと惰性で採用試験を受験し、気づくと最初の教え子が成人するまでになっていました。
そんな時に、教え子たちの懇親会に呼んでもらう機会がありました。昔話に花が咲いている中で、私自身の話になり、当時教壇に立っていた私が臨時任用であったこと、そして現在も臨時任用であることの話をしました。本当は彼らが卒業するまで3年間ともに学び合いたかった、ということを言い終わった後に、私は後ろめたさと恥ずかしさを感じました。立派に成長し、社会に出て、もがきながらも懸命に働いている教え子たちを前に、数年前の身分となんら変わらない私は、彼らの前で胸を張って話すことができず、それは自分自身が成長する努力を怠っているからだということに気づかされました。また、私自身が所帯を持ち、果たして自分は「一人前」とはっきり言い切れるだろうかと自問自答している時期とも重なっていました。このままでいいはずがない、「自分はどうなりたいのか?」と常に考え続けるようになったこと、夫婦間で将来のことについてよく話し合ったことも、真剣に勉強へと向かうきっかけの一つでした。
時には、挫けそうになったり、教育という仕事を諦めて、他の職種に就こうかと考えた時もありましたが、沖縄教員塾で上高先生の講義を受けさせていただいたり、志を共にする仲間たちがいたからこそ、自分を見つめ直し、沖縄県の教員のスタートラインに立つことができました。
『沖縄教員塾 合格体験記』では、今までの合格者の方々が勉強法や参考書などを詳細に述べていますので、ここでは自分自身がどのような勉強法だったかということと併せて、その時の気持ちなどもまじえて述べていこうと思います。
○一次試験
沖縄教員塾の前に、別の塾に短期間だけ通っていました。その時には、専門教科よりも一般教養と教職教養の方に力を入れて勉強していました。その際には、塾から配布されたテキストを何度も読み込み、同じテキストを繰り返して解くことを意識していました。また、塾が終わった後は、翌日か一週間以内には解説を見て納得するまで解き直し、文法事項をはじめ、解説に出てきた知識やそれに関連がありそうな事柄を調べるなどして、一つのタイトルに時間をかけていました。この勉強法は『沖縄教員塾 合格体験記 2015年12月15日』の「時間をかけて復習し、辞書と便覧を駆使して問題から吸い尽くせるものは、すべて吸い尽くす」というスタイルを参考にさせていただきました。最終的には、一次一部免除制度を利用して合格できたのですが、この時に自分なりの「時間をかけて復習し、繰り返して解く」という勉強方法を確立できたのかもしれません。
沖縄教員塾に入ってからは、上記のことに加えて、①講義を最前列で受けることと、②理解できなかったことはその日のうちに上高先生に質問するということを心がけました。
①は単純に視力が良くないということもあったのですが、前に人がいるといないのとでは集中力が違った気がしたからです。また、講義中は上高先生から他の人への質問に対しても、自分ならこう答えるというものを用意して、脳内で塾生の皆さんと勝負していました。それを悟られないようにするためにも、最前列は私に合っていました。
②に関しては、最初のうちは質問をすることは、自身の無知を曝け出すようで恥ずかしい気もしていたのですが、質問を重ねるうちに、やり取りの中で新しい発見があり、自分の疑問点を明確にして、言葉にして相手に伝えるというプロセスも、私の中では勉強になりました。
以下に使用参考書を示しますが、塾で使用した参考書は塾の指定参考書なので、他の合格者と変わりません。それらに関しては、ひたすら「時間をかけて復習し、繰り返して解く」ということを意識して取り組んでいたので、それ以外で自分で使用していたものだけを紹介させていただきます。
使用参考書
現代文用語:現代文キーワード読解・Z会
辞書がわりに使用していました。挿絵でイメージがつきやすく、最初の頃は移動先で時間があるときに開いたりもしていましたが、あまり使用しなくなりました。受験期間後半は辞書の方にお世話になっていました。
古文単語:マドンナ古文単語230 パワーアップ版・Gakken
ゴロで覚えるなどもしていましたが、私は語源などから覚えていったほうが記憶に残りやすいタイプだときづき、この参考書を利用していました。この参考書も繰り返して読みましたが、読み込むというよりは、むしろ辞書のような使い方をしていました。語源や派生語などのビジュアルが見やすく、基礎的な230単語は覚えることができました。付録で単語帳がついてくるので、自宅のトイレにかけておいて使用していました。受験期間後半は辞書の方にお世話になっていました。
古文文法:体系古典文法 八訂版・数研出版
常に持ち歩いていたので薄いほうがいいだろうと思い、この参考書を利用していました。どこの学校にも置いてあり、授業でも使用することが多かったこともあって、書き込んでみたり、線を引っ張ったりするなどして何度も使用しました。愛着はありますが特筆すべきことはありません。
漢文句法:漢文句形とキーワード・Z会
漢文の知識定着・読解能力向上に大いに役立ちました。わかっているようでしっかり理解できていなかった句法や、さまざまなくせ者単語、漢文読解に必要な暗黙の了解に至るまで、さまざまなことが把握できる一冊でした。例文に加えて、句法が使用されている実際の短文などの紹介も読んでいて面白く、要注意ポイントなどもかなり参考にさせていただきました。この参考書も、『体系古典文法』同様に書き込んだり、線をひいたりして使い込みました。
この4冊に加えて、辞書を何度もひいていました。漢和辞典と古語辞典(古語辞典は2冊)、国語辞典を手元に置いて、わからないことは調べて書き込むという作業を繰り返し繰り返し行なっていました。
学習指導要領は、塾での配布テキストだけで対策を行っていました。私は聴覚優位だと思ったので、スマートホンの音声録音機能に自分の声を録音して、お風呂場や出勤中の車の中でBGMがわりに聞いていました。これは二次試験の論文対策や自己PR・面接の応答の暗記の際にも行っていました。
国語常識は、塾でのテストを国語便覧で確認したり、時代や系統・派を、作品・作者ごとにまとめ直したりして、暗記するというよりは、理解に近い形で覚えていました。
沖縄の文学は、『新編沖縄の文学』を毎日就寝前に音読したり、YouTubeで動画を見たり、関連するテレビ番組を見たり、実際に県立博物館や劇を見に行くなどして身近に感じられるように工夫しながら沖縄の文学知識を増やしていきました。
○二次試験
平成30年度に一度、二次試験を経験していたことが大きかったと感じます。そこで、平成30年度に行った対策を中心に述べていきます。
平成30年度 二次試験不合格
平成30年度 論文
今まで二次試験を受けたことがなく、対策も一次試験を終了してから始めました。二次試験までに提出した論文は一本しかなく、それも合格点をもらえていない状況でした。論文に本格的に取り組みはじめた当初は、どう書いていいか分からなかったのですが、とにかく県教委の出している文書を読み込んでいき、沖縄教員塾からいただいた採点基準を入れ込むように心がけました。取り組んだばかりの頃は、自分でも何が言いたいかよく分からない文章でしたが、何本も書き上げていくうちに論文の型のようなものが見えてくるようになりました。ただ、本番までにしっかりとした準備ができず、本番では字数を埋めることと出題された文章に正対した書き方に努めた以外はこれと言って工夫した点はありませんでした。
以下に質問事項をまとめておきます。
・緊張せずにいつも通りで答えて下さいね。
・趣味である軽音部とありますが、ロックが好きなんですね。
・軽音楽の活動は今でも行なっているのですか。
・教師に必要な資質はなんだと考えますか。
・なぜ本県の教員になりたいのですか。
・あってはならないことであるが、不祥事を防ぐためにはどうしますか。
・不登校の生徒が保健室にいるが、その生徒への対応はどう考えますか。
・ストレス発散の方法はなんですか。
・学校での悩みを抱えた時にどうしますか。
・同僚の先生と意見が合わない時にどうしますか。
・生徒が夏休み明けで隣の教室に聞こえるくらい騒いでいます。学級指導を2分間で場面指導してください。
・離島へき地勤務は可能ですか。
・最後に言っておきたいことはありますか。
・先程、何事にもチャレンジしていきたいとありますが、最近チャレンジした体験などがあればおねがいします。
質問者がどのような方だったかはあまり覚えていませんが、カウンセラーのような質問をする方は平成31年度の方と同じでした。
平成30年度 模擬授業
論文・面接と同様に一次試験を終了してから対策を始めました。普段行っている授業の通りがよい、というアドバイスをもらいながらも、見られていることを意識しすぎてしまったり、決められた時間内で生徒から出た発問をもとに目標まで書ききるということを意識しすぎたりしていたような気がします。本番では、まるで予想をしていなかった単元でしたが、何が来ても自分らしくやろうということを念頭に置いてある程度冷静にできたとは思っていました。しかし、点数は思っていたよりも伸びませんでした。
平成30年度 面接
論文と同じように、面接対策も一次試験を終了してから始めました。過去に出題された質問や、沖縄教員塾でまとめてくださった傾向の資料を見ながら、友人や同僚の先生方、特に管理者に練習をたくさん手伝っていただきました。応答の際には、これまでの自分の臨時任用の経験を思い出しながら、一つ一つに誠実に答えられるように意識しました。特に場面指導は、瞬発力が大事かと思い、記憶の引き出しがすぐに開けられるように、赴任して働かせていただいた学校での出来事をよく思い出すようにしていました。本番では自分の良さを伝えられるのは面接だと思い、一生懸命に相手に伝える努力をしました。しかし、平成30年度は独りよがりな面接になってしまっていたのか、自分の思うほど点数は伸びませんでした。
平成31年度 二次試験合格
平成31年度 論文
今年こそは論文をたくさん仕上げる、と意気込んでいたものの、結局本格的に取り組み始めたのは一次試験終了後となりました。意識をしたのは昨年度よりも、キーワードを盛り込んでいくこととわかりやすく書いていくことでした。自分の意見を書くというよりは、何本も書いて、型を身につけて、求められている答えをたくさん入れていくというような感じでした。本番では予想していなかったテーマでしたが、普段と変わった書き方はせずに、時間通りにキーワードを入れつつ、文字数を埋めることを意識して書き終わりました。
平成31年度 面接
平成30年度の面接での反省事項を踏まえて、質問者の聞いていることをしっかりと受け止めることを念頭に置いて、答えることよりも聞くことに集中して面接対策をしました。私は、相手が言わんとすることを勝手に解釈しがちであったために、質問の意図・聞きたいことを整理して、最初に結論から話し、そのあとに理由を付け加えるという応答に変えました。昨年度までの面接では、教員になりたいという「情熱」を伝えていこうといったようなスタンスでしたが、今年は自分の中でもいろんな気づきがあったために「感謝」をしていきたいというスタンスでいきました。これが試験官にどう伝わったかはわかりませんが、結果として合格をいただくことができました。
以下に質問者ごとの質問事項をまとめておきます。
真ん中のロマンスグレーに近い男性は相槌をものすごくうってくださいました。笑顔が素敵で寄り添った質問をしてくださいました。
「リラックスして普段通りの気持ちで答えてくださいね。」「もし、答えが長い場合は途中で切って、質問をすることもあります。」という言葉から質問が始まりました。
・面接調書から、地域の青年会活動について
「それでは、面接の質問に入ります。」とあったので、これ以降が面接に関わる質問なのかな、とその時には思いました。
・沖縄県の教員としての志望動機
・自己PR
・面接調書に書いてあることを学級経営でどういかすか
・仕事がうまくいかないときにどう対処しているか
・教員の不祥事をどう思うか
・沖縄県の教員として大事だと考えることはなにか→そのために学校活動でどう取り組んでいるか
続いての質問者は心理カウンセラーのような方でした。ショートカットで優しそうな雰囲気で、よく相槌をうってくださいました。
・一人で物事がうまくいかないときにどう対応するか
・ストレスが溜まったときにどうしているか
最後の質問者は眼鏡の方でした。他のお二方の時には一生懸命に応答をメモしていましたが、その方が質問する際は視線を合わせて下さりました。そして、相槌もしてくださいました。
・休み時間に一人で行動している生徒とその保護者に対して、どう対応するか
・場面指導 休み時間にある生徒がある生徒にからかいの言葉をいっている場面があった、どう対応するか
・離島北部勤務は可能か
・最後に補足しておきたいこと、言っておきたいことは
質問が連続というか、関連していたような気がします。一つの質問から、次の質問へとつながっている感じで、昨年度とは違った印象を受けました。
平成31年度 模擬授業
昨年度よりも力を入れて取り組んだのが、模擬授業でした。理由としては、自分の資質は模擬授業でこそ伝わると思ったからです。昨年度の倍近く練習を行い、本当にたくさんの人に練習に付き合っていただきました。昨年度からの課題である、話すスピードや展開の仕方、子どもたちの興味を引きつける導入を意識して練習を行いました。本番では、上高先生が予想されていた単元「奥の細道」が出題され、私自身ずっと練習していた単元であったために自信を持って模擬授業を終えることができました。
○おわりに
今回の採用試験は「自分はどうなりたいのか?」という問いに対しての答え探しでした。特に二次試験においては、自分と向き合うことの楽しさや辛さを経験することができました。これまでの道のりは長く決して平坦なものではなかったので、自分に甘く弱い私は1人では歩むことができませんでした。常に明るい光を持って先導してくださったのが上高先生であり、隣には同じ志の仲間がいて、少し疲れて座り込むと家族が応援してくれていました。二次試験に2回目で気づけたのが「感謝する」ということでした。やっとスタートラインに立つことができたので、これからは沖縄県の未来を少しでも明るくするために、私自身が光を持つ存在として、そして「感謝」を忘れずに笑顔で頑張っていきたいと思います。
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