平成29年度実施 沖縄県公立学校教員候補者選考試験 合格体験記 小学校

はじめに

 私はもともと、中学校・国語を志望していました。臨任として中学校も小学校も転々と勤めていくうちに、私が教員としてやりたいことは小学校でもできるのではないかと考えるようになりました。自分が中学校へいくべきか小学校へいくべきか迷いながら、なんとなく中学校を受験し続けていました。ちなみに、当時私は中学と高校の免許を所持していました。なんとなく、小学校の免許も持っておこうかと思い、小学校の免許も取ることに決めました。
 受験も教員生活も、目の前のことをこなすのに精一杯になっていた私に転機が訪れたのは、平成28年度の頃でした。その年、赴任先の学校で、私はパワハラを受け続け、ついには入院しました。その年、私は初めて受験校種を小学校に変え、受験していました。結果、一次試験で落ちてしまいましたが、合格ラインまであと6点というところまでいくことができました。小学校免許取得見込みで受験したのですが、残念ながら、この年は免許取得も叶いませんでした。しかし、この時の受験が、のちの私に大きな影響を与えました。
 今年、私は「あの状況の中でもあと一歩の所まで行けたんだから、頑張れば絶対合格できる!」と自分に言い聞かせながら受験に臨みました。
 私の場合、自己免疫疾患の持病があるため、体調管理にとくに気をつけました。本来なら日常生活を送ることもやっとの状態です。「それでもやりたいことがある」「もういい加減くすぶっている場合じゃない」という思いが、私を奮い立たせていました。普段は、感染症と日光と激しい運動を避けていれば、症状がひどくなることはありませんが、受験の際には、さらに体温調節にも気をつけました。一度体温が上がるとなかなか下がらないので、塾へはいつもアイスノンを持参して、体を冷やしながら勉強していました。
 私自身の特性が他の方々と異なる気がするので、私の勉強方法を紹介すべきか迷いますが、何かのヒントになれば幸いです。

一次試験(小学校全科)

 私は一部免除で受験できたので、今回は教職教養の対策はしていません。専門試験(小学校全科)の対策だけに専念しました。特に参考書や問題集を自分で買ったりはせず、塾からいただいた資料や問題だけで対策をしました。
 一次対策で私が気を付けたことは、
 ①塾でいただいた各問題を必ず満点をとるまで解くこと、
 ②覚えるべきことは確実に覚えること、
 ③遠慮なく上高先生に助けてもらうこと、
この3点です。
 塾では、過去問だけでなく、各教科のチェックテストや模試の問題など、様々な問題をいただき、自分を試す機会をたくさんいただきました。毎回シャレにもならない残念な結果ではありましたが、どの問題も、必ず満点を取るまで繰り返し解きました。そのうち、問題の内容が多少変わっても解けるようになりました。いつの間にか、問題の解き方やコツを覚えていたようです。確実にできる(解ける)問題が着々と増えていくことで、それは揺るぎない自信へとつながっていきました。
 学習にあたり、「選択肢がなくても解けるように」を目標に、あらゆる教科を覚えていきました。自分の「なんとなく」に甘えないよう、「確実に頼れる勘を鍛えよう」と心がけました。曖昧なものは辞書や資料で調べたり、上高先生に習ったりして、ことごとく「なんとなく」を潰していくようにしました。
 今年こそ合格したい、もう受験生活を終わらせたいと強く思うようになった私は、これまでの自身の学習を振り返ってみました。いつも上高先生は私に助言をくださっていたのに、私はなかなか実行できずにいたことも思い出しました。これは先生の厚意に対してひどい仕打ちだと思うと申し訳なくなり、今年こそ先生にしっかりついていこうと決めました。わが家では「かみ様の言う通り」が合言葉になりました。
 さらに振り返り、ノートのまとめ方がきれいな人や、付箋やマーカーを上手に使っている人を真似てはみるものの、どれも私の脳には合っていなかったように思い始めました。私はしだいに、「自分に合ったやり方じゃないと、どんなに真似ても勉強しても頭に入らない。受験するのは私なんだから、私の頭に入らなきゃ意味がない。」と考えるようになりました。
 それから、自分の思考パターンや覚え方を、自分なりに分析しました。そして、写真や動画のように、見たものをそのまま覚えることが得意だと気が付きました。そういえば、街中ですれ違う人や、教科書の挿絵など、何気なく見かけるものも覚えてしまいます。覚えるつもりはなくても、目で見たものがどんどん頭にインプットされてしまうので、受験期間はよけいな情報が入らないよう、外では下を向いて歩くなど自分の視界にも気をつけるようになりました。
 自己分析の結果をふまえて、私は視覚情報を味方につけようと努めてみました。見たままに覚えてしまうので、活字だらけの本やプリントは、私の脳内ではほとんど同じ画像のようにインプットされてしまいます。手間暇はかかりますが、確実に覚えるために、図にかいてみたりマーカーで色分けしたり、「自分が覚えやすいように」工夫しました。
 学習指導要領は最低限になすべきこととして覚え、歴史や理科、数学の公式など、覚えやすいものからどんどん学習を進めました。こうして「確実に解ける問題」を着々と増やしていったことで、一次試験本番では、多くの問題を迷いなく解くことができました。一問一問にかける時間を短縮できた分、難しい問題をしっかり考えることもできました。今年の問題傾向が去年までとがらりと変わり、正直驚きましたが、「驚いているのは他の人も同じだ」「問題が変わっても指導要領は大して変わらない」と、すぐに気持ちを切り替えて解き進めました。結果として、着実についた自信に助けられたように思います。迷いなく解けるほど勉強したのだという経験も、今となっては私の誇りです。
 また、自身の生活を振り返ったとき、仕事を除いて、私は、塾についで車にのっている時間が長いことに気が付きました。家にいる時間は寝食とお風呂くらいです。そこで私は、車のサンバイザーや、ケータイ(ガラケー)の十字キーあたり(邪魔にならない部分)に、数学の公式や音楽用語など、覚えたいことを目につくところに貼るようにしました。
 これも私独特の方法かもしれませんが、もう一つ勉強方法を紹介します。我が家では「ながらゴハン」が御法度であるため、私は塾でも食べながら勉強することに気が引けていました。「さっきまで脳を酷使していたから、ちゃんと休憩しよう」と、思い切りボーっとすることもありました。ボーっと外を眺めながら、さきほど覚えた内容(主に歴史)を脳内再生して楽しみました。もともと妄想することが好きだからこそできたことだと思います。今思えば、これがインプット・アウトプットになり、より覚えやすかったのでしょう。しかしながら、ただボーっとするのももったいない気がすることもありました。そういう時は、塾の壁に貼られた新聞記事や地図を見たり、他の人の学習をのぞいて良さそうな方法を自分も取り入れてみたりしました。あえて、問題集等は見ないことで、少なからずの気分転換になりました。
 私は今回の受験を通して、ただ我武者羅に読む・書くだけが勉強ではないと実感できました。1分1秒も惜しいからこそ、自分にあった方法を取り入れることが大切なのだと思います。

二次試験

 一次試験を終えてから合格発表が出るまで、本来なら論文や面接など、できる対策を先にすべきでしょうが、私には二次の対策をしている余裕はありませんでした。小学校免許をとるためのレポート提出や単位修得試験に追われ、全く手つかずのまま一次合格をいただき、あれよあれよと二次対策が始まりました。発表が出てからしか対策をしていないので、実質1週間ほどで仕上げたことになります。できるかぎり、限られた時間を目一杯対策に費やしました。

面接調書

 教師になって自分がやりたいことは、日頃から考えていたおかげかすぐに書けました。言い回しや言葉の並びなどの指摘はいただきましたが、内容自体は直されませんでした。案外、私の志も捨てたものではないようです。「内容は良いんだ」と、私は密かに自信をつけていました。
 英作文の課題は、自分の好きなもの(こと)について紹介するというものでした。私は初め、自分が好きな物事で、なおかつ語れるものといえば「家族」しかないと考えたのですが、上高先生に「人以外で考えるように」と助言をいただきました。やはり、迷ったら先生に相談すべきだと反省しました。結局、琉球民謡と琉舞について書きました。なけなしの英語力を上高先生に助けてもらいながら、書き上げることができました。

面接

 まわりの皆さんは面接ノートを作って、過去の質問記録を見ながら「自分はこう答えよう」と書き綴っていましたが、私にはその記録を読んでいる余裕すらありませんでした。聞かれたことに応えればいいと気楽に考えていたせいもあるでしょう。そして、模擬面接では無様な結果となりました。根拠もなく大丈夫だと思っていましたが、いざ試験官を前にすると、思っていたよりも緊張し、何を話せばいいのか分からなくなってしまいました。頭の中って本当に真っ白になるんだなと実感しました。私の「大丈夫」は、根拠がないために脆く崩れ、アドリブすらもままならない、実に醜態でした。
 「やばい」と思いつつも、模擬授業の対策で手一杯だった私は、とうとう試験当日まで面接の過去問を熟読することはできませんでした。面接に関しての対策らしい対策といえば、塾生同士で質問の答え方や傾向をああだこうだ話し合ったくらいでした。あのときの会話に助けられ、本番もどうにか乗り越えることができました。
 試験当日、待ち時間が長かったおかげで、やっと過去問を読むことができました。天の助けです。過去問を読みながら、私はふと、どの質問も、自分が教師としてどうするのかを問われている、と気づきました。そして、自分の中に教師としてすべき信念があれば迷わず答えられる、自分の信念を信じればいいと考えました。これも、普段から自分なりの考えがあったからできたことで、危険な綱渡りだったと思います。
 その他、塾では声の大きさについてよく注意されたので、本番では「試験官をばんみかすぞ」と気合を入れました。実際の声は自分が思っているよりも発声できていないことを肝に命じながら、「大きな声で元気よく」臨みました。

模擬授業

 今回は、社会科(歴史)の中から、明治期についての出題でした。塾生同士で教科書や指導要領を持ち寄り、本番はどの部分が出題されるかと、みんなで考え、対策を練りました。私一人では的を絞ることすら考えつかなかったでしょう。本当に、何度この仲間たちに救われたか……。塾では、ペリー来航や明治維新など、沖縄とも関係がある内容が出題されるだろうと踏んで対策を練りました。
 私は何となく、学習の一連の流れが妙に気になり、小学校6年生の歴史学習(各単元の流れ)を一通り頭に入れました。今思えば、予感がしていたのでしょう。
 本番で出題されたのは、ノルマントン号事件についてでした。試験本番では、授業展開をメモする時間が与えられます。私はその時間に、塾での模擬授業の際に、先生方にいただいた助言をふと思い出しました。明治維新について授業をした私に、先生方は「与えられた資料をよく見ること」「実際の子どもたちは、この歴史の授業をふまえて、公民の授業を習う。過去の歴史がいかに大変なものだったかをここでしっかりおさえておけば、現代の憲法や政治がいかに画期的であるか気づくことができる」と教えてくださいました。私はそれを思い出し、メモの中にも「のちの憲法改革、公民学習へとつなげるように」と書きました。あのメモが採点に含まれているなら、間違いなく、授業構成が良かったのでしょう。
 できれば学習内容を一通り勉強できた方がおすすめですが、普通はそのような余裕はないでしょう。私の場合、結局、塾での模擬授業の日にしか自習できていなかったので、実質、2・3日ほどで模擬授業の対策を仕上げたことになります。「やるだけやった」と悔いなく言えるほど必死になること、どんなこともヒントにするつもりで情報を逃さないこと、これらを守れば、あとは自分の知識と経験が助けてくれるでしょう。勉強に限らず、「なんとなく」ではなく必死に積み上げたものは、必ず自分の力になるはずです。

体育実技

 体育実技についても、まったく練習できずにいました。実は課題の中にある「ロンダード」がどんな技なのかも分かっていませんでした。体育実技試験の3・4日ほど前に、やっとユーチューブで動画を探し、イメージトレーニングだけはしました。私はかつて野生児だったのだ、やればできる、本番ならケガをしてもいい、と半ばヤケになっていました。
 そんな私に救いの手が差し伸べられました。塾生の知り合いに、元体育教師がいるらしく、その方に習いに行こうというお誘いでした。なんと願ったり叶ったりなお誘いでしょう! なりふりかまっていられない私は、遠慮なくこの誘いにのりました。
 体育の試験の前日(二次試験2日目の夜)、塾生数名で元体育教師のもとへマット運動を習いにいきました。私たちは一晩(3時間ほど)でマット運動を完成させたのです。そこでは、とくに目線について注意されました。進みたい方向をまっすぐ見ること、進行方向をきちんと見ていれば体もついてくるとのことでした。私は密かに人生訓のようだと思いながら、本番もこの教えと気合で乗り切りました。
 水泳は昔から苦手なので、近所の水泳教室へ通いましたが、本番まで2回(1回1時間ほど)しか行けませんでした。教室の先生に受験を控えていると事情を説明し、基本コースの授業後に居残りで平泳ぎの特訓をしていただきました。ダメもとで頼んでみたのですが、快諾していただき、助かりました。そして、息継ぎすらできない私が習得できたのは、平泳ぎのフォームだけでした。進めません。先生曰くフォームは良いが脚力が足りないとのことでした。本番も5回ほど足がつきました。本番のプールが水泳教室のプールより深かったことも言い訳にしていいでしょうか。しかし、何としても泳ぎ切ろうとする威勢だけは試験官にも伝わっただろうと信じています。気合は大事です。
 体育実技に関しては、一朝一夕にできるものではありません。私がマット運動を一晩で完成できたのは奇跡に恵まれた結果であって、確かな実力ではありません。事実、本番中に両手首を捻挫しています。体育が得意な人でも、一次の結果が出てから対策したのでは遅いのかもしれません。苦手な人ほど、早めに対策することをおすすめします。

オルガン

 まわりの皆さんは、職場のオルガンを弾いたり、それぞれ先輩に聞いてもらったりしながら練習していたようですが、わが校のオルガンは老体すぎてほぼ全滅につき、職場での練習は難しくありました。しかし幸運なことに、わが家には、兄が置き去りにした電子キーボードがあり、それで練習することができました。
 試験要項をみるかぎり、弾き方そのものは厳しく見られないだろうと踏んだ私は、「とりあえず歌いながら弾ければいい」をモットーに練習しました。塾から帰って、体調にもよりますが10分~30分ほど練習しました。毎日ではありませんが、一次の発表を受けて、4・5日は弾いたでしょうか。
 楽譜を見て弾くこともできましたが、「見た方が覚えやすい」と思い、私はユーチューブで課題曲『ふるさと』の弾き語りを探しました。そして、すぐできそうな簡単な伴奏を一晩で目と耳で覚え、翌日から歌いながら弾きました。もともと音感も悪くないのでしょうが、「見たまま覚える特技」のおかげで、指の動きまで覚えて弾くことができました。だんだんと自己流の弾き方になっていた気がしますが、本番で音を間違えなければいいと、開き直りました。
 楽譜を見ずに感覚で覚えたおかげで、練習中から楽譜を見ずに練習できました。「本番は子どもに指導するように弾いた方がいい」という噂も聞いていたので、本番も楽譜を見ずに、教室を見渡すように弾くことができました。本番は楽譜を見てはいけないと勘違いしていたこともあったのですが、かえって試験官には好印象をもってもらえたかと思います(実際の試験では、皆さん楽譜を見ていました)。
 また、試験前の待ち時間の間、私は三線の稽古で師匠によく「歌の出だしが弱い」と注意されていたことをふと思い出しました。本番も、歌の出だしや声の大きさに気をつけました。あとは舞台根性がでたのか、われながら素晴らしい笑顔も出てきました。「試験官を魅了してやろう」という気持ちで弾きました。試験官の脳裏に美しいふるさとの風景が広がっていたら幸いです。

リコーダー

 一度、楽譜を見ながら課題曲を吹いてみると、思いのほか覚えていて吹けました。私は楽譜で息継ぎのタイミングと音ののばし具合を確認すると、あとは見ずに吹くようにしました。本番では楽譜を見てはいけないと勘違いしていたので、見ないで吹けるように練習しました(実際の試験では、皆さん楽譜を見ていました)。家での練習は、1日2・3回くらいでした。
 リコーダーに関しては何の心配もなく、試験に臨みました。楽譜を見ないで練習したことが、かえって「間違えずに吹ける」と自信になっていたようです。

生活面

 私は、臨時的任用教員として通常学校の特別支援学級の担任を全うしながらの受験生活でした。勤務先も塾も実家から通い、衣食住には苦労しませんでした。勤務先が近くなったことも幸いでした。私のネックは、自身の体調管理でした。今年こそ合格したいと思っていた私は、無駄に仕事をまわされないよう全力で逃げました。
 仕事(とくに事務的な業務)は最低限に、そして、少しでも塾へ行くように心がけました。30分でも行けば、少なくとも気持ちが勉強モードになります。上高先生と話すこともできます。現状報告もできます。問題が頭に入らないときは、まわりの人を観察することで情報収集できます。決して無駄にはなりません。去年までは(心身ともに余裕もありませんでしたが)駐車代が気になり、土日にしか通塾していませんでしたが、「駐車代もこれで終わりだ」「自己投資だ」と思うようにしました。必要経費だと思ったとたん、不思議と気にならなくなりました。幸い、休日は家族が塾までの送迎をしてくれたおかげで、金銭的にも体力的にも、かなり助かりました。また、私はこんなに応援されているのだと改めて感じ、本当に今年こそ合格するぞと、決意を新たにすることもできました。
 きちんと勉強するようになったのは4月頃からでした。7月までの約3か月、平日は仕事帰りに30分~1時間前後、休日は朝から夜まで1日中、塾へ通いました。行くことに意義があると思っていました。時間で言えば、平日の勉強時間は30分~1時間前後、休日は10時間前後くらい勉強しました。とはいえ、体調をくずして寝込むこともあったので、毎日ではありません。とくに平日は仕事の後は体力がなくなり、勉強できない日も多々ありました。そんな日は無理に起きても不調を引きずるだけなので、大人しく寝ました。横になりながら、本が読めそうであれば塾からいただいた資料を読み、読む元気もなければ、これまで覚えたことを何度も反芻しながら自分の記憶を確認しました。一次試験を終えるまでは、机に向かえるときは、ただひたすらに問題を解きまくりました。勉強したくてもできない日があると、机に向かえることすら嬉しくもありました。
 月に1・2度、定期健診のために通院する必要があり、通院の日は半日~1日は病院にいることになります。待ち時間を無駄にしたくないと考えた私は、一次試験までは、待ち時間も問題を解いたり、指導要領を覚えたりしました。二次対策期には、過去の試験報告や授業で使う教科書を読んだりして、どうにか時間を無駄なく使おうと努めました。
 私は、ノルマを決めたり休憩時間を決めたりすることが性にあわないため、「疲れたら休む」「頑張れるときにやりきる」と、実に単純に行動しました。気持ちが合格することしか考えていなかったためか、不思議とだらだら過ごすことはありませんでした。そして、これまた不思議なことに、「どうしたらもっと勉強できるか」と自然と考えるようになりました。脳内が勉強一色になったことで、体が、心が、勝手に勉強しようとするようになりました。合格するための努力を惜しまなくなりました。
 私はこれまでも頑張ってきました。しかし、今回に比べたら、これまでの私は気持ちも勉強量も負けていたと思います。その時その時の精一杯を努めてきたつもりですが、自分で自分の意思に負けていたと思います。心のどこかに「まわりも難しい試験だと分かっているから受からなくても責められない」「また来年受ければいい」「そのうち受かるだろう」と、呑気な気持ちも確かにありました。これまでの進学試験で苦労をしたことがないためか、甘く考えていました。今回、私は、今年のようなことはもう二度とできないと思うほどに尽力しました。「やるだけのことはやりつくした」「よく頑張った」と胸を張って言えるだけの努力をしたからこそ、合格するためには「必ず成し遂げよう」という強い意志が必要だと気づかされました。
 合格に向けて、確かに勉強量も必要かもしれません。しかし何より大事なものは、強い志だと思います。気持ちがあれば、自然と、机に向かえなくても勉強できるように工夫するようになります。短い勉強時間でも工夫次第で貴重な時間となります。すべては自分の心しだいです。「思い通りの人生」です。自分で思っている通りに道はひらけます。道をひらくほどの意思があれば、応援してくれる人も集まってくれます。私がこれまでの受験生活を振り返って思うことは、ただただ「感謝」の一言に尽きます。確かに私はとても頑張りました。でも、私が頑張れたのは、間違いなく支えてくれた人々がいてくれたからです。私の受験したいという意思についてきてくれた人々に、頭が上がりません。

 最後に、皆さまが心新たに勉強に励めますよう、どこかの現場でともに働けますよう願っています。心から塾生の活躍を応援しています。