平成30年度実施 沖縄県公立学校教員候補者選考試験 合格体験記 中学校国語

今までの生活について

入塾する以前

 これまで普通高校、工業高校、特別支援学校で勤務してきました。受検校種も高校を受験してきました。第3期の9月から入塾しました。それまではメセナで上高先生に2年ほどお世話になりました。しかし、塾に行っていることだけで満足している状態で、「一生懸命勉強している」と胸を張っていえるような状態ではありませんでした。それ以降、入塾するまでの期間に結婚し、環境が一変しました。部活の強豪校で勤務したこともあり、家事・育児・普段の業務・部活などで時間がないことを言い訳にして、勉強しない時期が長く続きました。ただ、子どもが生まれたのを契機に「少しは勉強しなければ」と気持ちを入れ替え、早朝に勉強時間を設けました。2時間弱の勉強時間でしたが、継続することで年々一次試験の順位が上がっていきました。しかし、30位程度まで順位を上げるのがやっとの状態でした。
 昨年度の4月から臨任が切れたこともあり、採用試験まで日中を勉強時間に割き、その他の時間は家事・育児にあてました。しかし、一次合格することはできず、1人で勉強することに限界を感じ、入塾することにしました。

入塾してから

 入塾してまもなく、特別支援学校での臨任が決まりました。特別支援学校は部活がないので、高校に勤務していた時に部活にあてていた放課後の時間を勉強時間に使いました。早朝の勉強時間はそのまま継続しました。この時期の勉強内容は主に塾の復習をしました。他の問題集は一切触らずに塾からもらったプリント・問題集のみを復習しました。当初は「他の問題集もやろう!」と意気込んでいましたが、復習だけで手一杯になってしまったというのが現状です。日々の授業の中で自分のできない部分が次々に出てくるので、できないところを復習すると、時間がいくらあっても足りない日々が続きました。
 日曜日はあまり勉強せず、「子どもと遊ぶ日」にしました。採用試験にむけて勉強しなくてはならないのは「私の都合」であって、父親が休日に家にいるにも関わらず、父親と一緒に遊ぶことができないのはかわいそうだなと感じたからです。子どもと遊ぶことで勉強のストレスから解放されました。さらに今まで部活で土日に家を空けることが多かったので、家にいるときはできるだけ子どもとの時間を大切にするように心がけました。上高先生から「土曜日の授業の復習を日曜日と月曜日で終わらせるように」とのアドバイスをたびたびいただきましたが、「日曜日の早朝、子どもが起きる前まで」と時間を決めて勉強し、起床後は子どもと一緒に過ごすようにしました。勉強時間を確保したい一方で、家族との時間を大切にしたいとの思いもあり、その両立に葛藤する期間が、二次試験が終わるまでずっと続きました。しかし、この悩ましい状況を招いたのは全て今までの「怠惰な自分」だという強い自覚もありました。なので、「今年こそ合格したい!」と強く思いました。

試験対策について

一次試験

 私は一次試験の一部免除対象者だったので、専門教科の勉強に専念していました。仕事をしながら勉強を続けるつらさを実感していましたが、国語の勉強に専念できたので精神的な余裕はできたかなと感じています。前述しましたが、勉強内容はほぼ授業の復習でした。同じような内容を何度も間違うこともあったので、自分の苦手分野と向き合うのはとてもつらかったです。しかし「苦手分野があなたを毎年不合格にさせている要因」という先生の言葉を肝に銘じ、日々勉強していました。特に試験で配点の高い文章読解問題に関しては、同じ問題を何度も解きなおすようにしていました。そうすることで、まだ定着していない知識などを再確認することができました。授業では記述式の問題を多く解いていきますが、質問の意図する内容(質問に対してどこまで答えるか、どう答えないといけないか等)、答えの根拠となる部分等を先生が授業中に解説する際はできるだけ聞き漏らすことがないように心がけました。復習時も先生の解説に留意し、解説書と照らし合わせてゆくことで理解が深まるような気がしました。

二次試験

 二次対策は一次試験終了後から取り組みました。一次対策だけで手一杯になってしまい、なかなか対策ができずにいました。ただ、上高先生が資料として出しているプリントは必ず目を通すようにしていました。プリントを読み終わった時などは、その後に自分ならばどう対応するか(今までどう対応してきたか)、県の方針はどうなっているのか等を考えるようにしていました。毎朝必ず新聞に目を通す、インターネットで教育関連のコラムをチェックするなどして、二次試験を意識した生活をするように先輩からアドバイスをいただいていたので、普段の生活も対策になっていたと感じます。面接や模擬授業は普段の授業や教師として考えていることなどが評価されると思います。上高先生が授業中に「教師とは……」、「教育とは……」というお話をよくされると思いますが、その話にどう感じ,どう考えるかは、自分自身の教師としての自覚を問われているというつもりで聞いていました。模擬授業や面接に関しては上高先生の授業について行くだけで、資料に目を通すだけで十分な二次試験対策になると思います。
 論文対策は一次試験が終わった翌日から本格的に取り組みました。論文に関しては先生から「県の施策をどれだけ頭に入れているかの記述試験」だと常に言われていたので、県の施策(問いサポ)をとにかく読み込みました。嫌になるほど読み込み、目をつむっていても勝手にキーワードが頭に浮かぶまで読み込みました。一次試験合格発表まで論文を何度も何度も書き直す日々が続きます。「これ以上の内容は書けない」と思っていても、上高先生に添削していただくとダメな点が明確になるので、精神的にはきつい時期になります。しかし、この作業を繰り返すことで、県の施策を暗記するだけでなく、「この方策があの方策とつながるんだ」と深い理解につながったような気がします。県の施策を理解することは面接や模擬授業での質疑応答につながるので、きつい時期の頑張りが必ず実を結ぶはずです。

特別支援免許について

 私が合格した要因の一つとして特別支援免許を取得して一次試験に加点ができたことが挙げられます。入塾時の面談での上高先生からのアドバイスで、放送大学で免許を取得しました。免許取得のための勉強をしている時にちょうど特支に勤務していたため、生徒理解におおいに役立ちました。専門である国語の成績が伸び悩んでいる時期に免許取得の勉強をしていたため、国語の勉強に時間を割きたいという思いもありました。しかし、免許を取得すれば確実な加点になります。試験の難易に関わらず必ず加点がもらえるのは、私にとって大きなアドバンテージになりました。先生が「試験中に分からない問題は必ずある。分からない問題に直面してあせるのではなく、発想を変えてある程度の問題数までは間違ってもいいという余裕をもちなさい」とおっしゃることがありました。その時私は「自分は加点を持っているから他の受験生より数問間違えてもいい問題が増える」と思いました。実際の試験結果を見てみても、加点がなければ一次合格していませんでした。

校種変更について

 今まで特支に数年勤務してきましたが、多くの年数を高校で勤めてきました。部活にやりがいも感じていたこともあり、希望校種は高校でした。しかし、実力が伴っていなかったため、高校で合格するにはあと数年必要だと上高先生より助言がありました。結婚して家族もあり、年齢的にも若くない私にとって、いろんなものを犠牲にしながら仕事をしつつ勉強に集中するのは、正直とても辛いことでした。独身であればこの状況を招いたのは自分の努力不足なので、数年かかってでも努力して合格すれば良いのです。しかし家族がいれば話はだいぶ違ってきます。家族のためにも早く合格して安定した生活を保証したいとの思いから中学への変更を決意しました。
 校種を変える際にはとても悩みました。現状を考えると中学へ変更すべきなのですが、やはり高校を諦めることができませんでした。中学校の勤務経験がないことも決断しきれない要因の一つでした。なかなか踏ん切りがつかず、どうするか悩む時期を3ヶ月ほど過ごしました。この時期に「教師としてどうありたいのか」と幾度も考えました。その結果、「自分が教師として取り組みたいことは高校よりむしろ中学校でこそ発揮できるのではないか」という考えにいたりました。そこで家族のため、なにより教師になりたいという夢を実現させるため中学校への校種変更の決心がつきました。

最後に

 合格したいと強く思いながら勉強をしてきましたが、合格するに値する実力はまだ持ち合わせてはいないと感じます。それでも合格することができたのは、上高先生を信じ、その助言に従ってきたからだと思います。しかし、素直に助言に従ってきたわけではありません。正直にいうと内心では反発しており、納得できないことも多々ありました。しかし、先生は学力などの現状とその人自身をよく見極め(私以上に私を見極めていると思います!)なにも包み隠すことなく直球で助言してくれます。塾生一人ひとりが合格するための道筋を描いて正面から物事をおっしゃっていると思います。特支免許や校種変更の助言に従わなければ今年の合格は絶対にありえませんでした。沖縄教員塾は塾生の意識も高く、上高先生が求めているレベルも高いので、正直ついていくだけでも大変です。生半可な気持ちでやっていたら落ちこぼれてしまう気がします。部活をやっていて感じることでもありますが、「勝てるチーム」を作るには強い意志を持った集団の中で質の高い練習を継続性を持って行うことが肝要です。塾にお世話になった一年間を振り返ると、上高先生が普段なされていることは沖縄教員塾を「勝てるチーム」にする方策だと感じます。上高先生を信じ、「絶対に合格する」という強い意志を持って他の塾生と切磋琢磨することが合格への一番の道だと実感しました。