平成29年度実施 沖縄県公立学校教員候補者選考試験 合格体験記 中学校国語

■これまでの受験

 私は、今回の受験が大学現役時も含め6回目でした。大学生のときには、大学の教員採用試験受験対策講座を受講していましたが、順位は80番台でした。卒業後は中学校で臨任教諭をしながら受験しました。2回目の受験で順位が35位になりましたが、1次合格にはまだ勉強が必要だと感じたため、仕事をしながら、退職された先生方が指導してくださる塾(勉強会?)へ通いました。そこで、教育史について徹底して暗記した経験が現在に繋がっているかなと思います。臨任教諭2年目は担任や部顧問をしていたため、7月の受験後は塾ではなく、学習教材を家に届けてくれる団体へ申し込みをして取り寄せた資料をもとに学習しました。また、3月で勤務していた学校の臨任枠がなくなるタイミングだったため、仕事を一旦切り、勉強に専念しました。60か月以上の臨任経験があると1部免除になりますが、私は他の人が60か月間臨任をする前に合格しようと決意しました。その間は大学の図書館などを利用して学習していました。9月からは小学校で学習支援員をしながら勉強し、諸事情により再度4月から仕事を切って勉強に専念しました。しかし、2回目の受験以降ずっと20番台30番台を行ったり来たりで合格には至りませんでした。そこで、昨年9月より中部の高等学校で勤務しながら、沖縄教員塾へ入塾し、今年度合格することができました。

■なぜ沖縄教員塾に入塾したのか

 私がこれまでに通っていた塾や団体は、教職教養のみを学習する場でした。他教科の方と共に学習できることは刺激を受けることも多くありましたが、私には専門教養の点数が圧倒的に足りていませんでした。塾や教材以外で専門の学習をしなければいけないと思いながらも、学習した分だけ点数が上がっていく教職教養が楽しくて、教職教養ばかりを学習していました。当時の私が行っていた専門教養の対策としては、採用試験の過去問や参考書、センター試験の問題を解いたり、学習指導要領や沖縄の文学について暗記したりする程度だったので、自分の専門教科についてしっかりと基礎から学び直そうと思ったのが入塾したきっかけです。しかし、私が住んでいるのが本島北部ということと、仕事をせずに親に頼って塾に通うのは絶対嫌だったので、那覇まで塾に通うと決心するまでに少し時間がかかりました。沖縄教員塾のチラシやホームページに目を通し、また合格した友人から話を聞き、仕事場を中部に移して、自分のために塾に通うことを決めました。私がここで頑張りたいと思えたのは、「フェンスギリギリのホームランを狙うから外野フライになってしまうのであって、場外ホームランを狙って芯が外れてもホームランになる学力を目指す」という言葉でした。毎年あと何位だった、あと何点足りなかったと甘く考えていた自分がいたことに気づき、ここに入塾して学習すれば場外ホームランも狙えるかもしれないと思い、ここで頑張ろうと思いました。

■1次試験

 沖縄教員塾に入塾して、学習時間のほとんどが専門教養の学習になりました。私は名護から北谷へ通勤し、那覇の塾に通い、名護に帰るという生活でしたので、やっていたことは99%くらい塾で学習した内容の復習です。暗記するものは車中で行い、時間を工夫して使うようにしました。
 私は、朝と夕方の通勤時には古文や漢文、教職教養の内容を暗記していました。また、学習指導要領は自分の携帯に録音して音声を聞きながら覚えるようにしていました。夕食は毎日祖母宅で食べるので、食後の空き時間は新聞を読む時間にしました。塾のない日でも祖母宅から自宅に戻るのは毎日22時頃で、入浴などを終えてから勉強の時間を取りました。私は家族が就寝後リビングで学習をする方が集中できたので、24時前頃から26時過ぎまで勉強していました。塾のある日は、2次試験に進んだ自分をイメージして車の中で自分のやりたい授業を行いながら帰宅しました。帰宅するのは23時過ぎになるので入浴をしてそのまま就寝することも多々ありました。その日で復習をするときは、本文をノートに書き写す程度でした。土曜日は午後から授業なので、朝起きて3~4時間勉強してから塾に向かいました。日曜日は、一緒に塾に向かう友人と車中で教職教養の問題を出し合いながら向かいました。また、塾終了後には大学の図書館に行き、復習してから帰るようにしていました。このように隙間時間でちょこちょこと勉強するように心がけました。その中でも毎週月曜日は琉舞のお稽古があり、それが私にとって気分転換になっていたように思います。
 7月に入り試験直前で最も心がけたことは早起きです。上高先生から、今ある力を最大限発揮できるように整えることの方が重要だというお話を聞いて、夜はほとんど勉強せずに、毎朝6時に起床して国語の学習指導要領と教育基本法を声に出して読んだり、穴埋め問題を解いたりしました。学習指導要領などは今まで暗記したものを3月公示の新学習指導要領へ上書きして覚えなければいけなかったので大変でした。

□専門教養

 小説や評論は授業で学習した以外にほとんど対策していません。古典や漢文は基礎から指導してくださり、文法も一つ一つ確認してくださるので、覚えていても上高先生が板書したことを毎回毎回復習のためにノートに書きました。授業中に文章問題を解く際には、問題を解きながら問題文を全て単語で区切って品詞分解をしました。そうすると、解説のときに自分が間違えて品詞分解しているところなどが明らかになりました。家で復習を行う時には必ず自分のノートに漢文や古文の原文を4行空きで書いて、もう一度自分が品詞分解できるか、意味が書けるかどうかを確認しました。意味のあやふやな単語は辞書を用いて調べ、その意味もノートに書くようにしました。私は漢文の句法が苦手だったので、車での移動時間も常にテキストを開いて信号待ちの隙に確認しながらブツブツと口に出して暗記するようにしました。古典は模試などをしても全然点数が上がりませんでした。その原因として、敬語をしっかり理解していないために主語が読み取れていないと思ったので、敬語の一覧表を常に持ち歩いて塾の休み時間や仕事の空き時間、車での移動中に何回も確認して覚えるようにしました。また復習の際にも誰が主語なのかを丁寧に確認することを心がけました。それ以外には学習指導要領と沖縄の文学の穴埋め問題を何回も解き直しました。

□教職教養

 私は入塾以前に人物名とキーワードを暗記して、キーワードが出たら選択肢の中から一瞬で結びつけられるように勉強していました。人物名やキーワードはカタカナも多くて覚えにくいので、自分の中で色んな言葉をつくって楽しく勉強できるようにしました。「4段階=ヘルバルト、ヘルバルトはヘルメット(明瞭~)」「ウィが来たらウォ(ウィネトカ・プランーウォッシュバーン)」「サ行セット(沢柳政太郎―成城小学校)」など自分にしか分からないワードを作ったり、ルールを決めたりして暗記していました。しかし、キーワードと人物名は分かっても、何をしたかが曖昧な人もいたので日曜日の授業では説明を聞いて内容をしっかり理解するように努めました。教育法規は似たような言葉がたくさんあるので、私は「教育小六法」で必ずその法規を調べて線を引き、何という法令なのか、何条なのかを調べ、前後にどんな内容が書かれているかを自分の目で見て確認することで、頭の中を整理しました。私は入塾前から「教育小六法」を用いていたのですが、上高先生から最新の教育法規をまとめた資料が配布されますので、その資料を活用するとよいと思います。学習指導要領は上高先生が小中高を比較した資料を配布してくださるので、それを活用していました。
 後半の授業はひたすら自分のペースで問題を解く時間になるので、解答が返却された後の復習の時間を大切にしました。その問題の答えだけでなく、選択肢に出てきた人物についてもキーワードや著書を書き出したり、調べたりして一つの問題から何倍も学ぶようにしました。あとは何回も何回も問題を解くことが私の中では効果的だったように思います。これ見たことある、これやったことあるという感覚で解いていました。試験1週間前は毎朝起床後すぐに教育基本法だけを声に出して読み、他の法令と間違えないようにしました。

□一般教養

 対策はほとんどやっていません。模試などを受けた時に間違えた問題の解説を読んで復習をしたぐらいです。

■2次試験

 1次試験終了後から面接調書と論文1の課題に取り組みましたが、何度も書き直してOKをもらえたのが1次の結果発表直前でした。次の課題に取り組み始めたころに1次の結果発表があり、面接と模擬授業の対策に追われてしまったので、もっと前もって論文を書く練習していたらと思いました。塾に入る前に様々な課題の序論だけを書く対策をしていたので、試験前にはそれを見返して柱を何にするかをイメージしました。私は2次試験で論文の点数がとても低かったので、早くから対策した方がいいと思います。
 面接は1次試験終了後に過去問をまとめた資料が配布されるので、発表までにそれをコピーして1ページに1問ずつノートに貼り、自分なりの答えを書き込み準備していました。それをもとに模擬面接を行いましたが、はじめは不安しかなく、緊張して声も小さかったので、車の中で毎日大きな声で自己PRを述べる練習や志望動機、受け答えの練習を行いました。また、自己PR等を録音して何度も聞き、自信を持って面接できるようにしました。
 模擬授業は昨年度と全く同じ範囲だったので、範囲内で考えられる授業の流れを全て考え、ノートに板書計画としてまとめました。つけたい力、指導事項、めあても試験ギリギリまで各授業分を頭に叩き込みました。模擬授業は塾で2回実施しますが、私は勤務している高校の先生方や大学のゼミの先生、国頭地区国語科の先生方、昨年度合格した友人にも授業を見ていただきました。また、同じく2次対策をする友人と中学校、高校、大学の教室を借用して何回も何回も授業を見合い、練習しました。
 1次試験の発表があってから、2次試験までは10日もなく、焦りと疲れで1次試験と比べ物にならないくらいヘトヘトになります。私は発表から2次試験まで毎日車の中で声を出して面接練習や模擬授業を行ったので、声も枯れそうになりました。しかし、練習した分だけ本番は落ち着いて臨むことができました。また、1次試験対策から共に学び、頑張ってきた仲間が1次合格者として塾に20名もいたので、苦しい2次対策も、緊張する試験当日もお互いに励まし合って乗り越えることができました。試験会場の控室はスーパーピリピリムードですが、知っている顔がたくさんあって笑顔で頑張ってねと送り出してくれるので安心して控室から出ていくことができました。この塾に通っていたからこそ、得られた安心感だったのではないかと思います。指導してくださった上高先生、照屋先生、仲間先生、共に受験した皆様、本当にありがとうございました。
 1年間を振り返ってみると、私は合格するために何をするかというよりは、合格した先のことを考えていました。1次発表前に1人で模擬授業の練習をしたり、合格者講話では何を話そうかなと考えたりと合格した後の自分を想像して過ごしていました。今、通われている皆さんも不安な気持ちになったり、問題が解けなくて落ち込んだりすることもあるかと思いますが、合格したあとの自分を想像して取り組んでみてください。きっといい結果に繋がりますよ。私もこれからまた頑張りたいと思います。ありがとうございました。皆様の合格を心よりお祈りしています。